切迫早産で入院した時の体験
前回までの切迫早産の入院記録
この記事での振り返り。
無事に生まれました。思っていたよりしっかりどっしりした子でした。
この日は夜中に陣痛がじりじり始まって、Ipadに入れていた陣痛カウンター的なアプリで間隔を計って耐えていました。
夫も起こして結局明け方4時くらいだったかと思うのですが、病院に電話をしてから向かいました。
そこからが長かったのですよ。
陣痛待機室に用意された数々のアイテムで陣痛逃がし。
夫に腰をさすってもらったり、とにかくラクになる体勢を探して。
分娩台に乗って、いよいよ生むと思っていたら昼前から段々微弱陣痛・・・。
「夜まで持ち越す?」とか言われたり。
まずい。
というのがこの日は日曜で、当番で出勤していた産科医長(ベテラン)が夕方には帰宅してしまう。
「もう体力が持たないのでしんどいので生みたいです」
と申し出ると、医長の手によって吸引分娩になりました。
信頼している人の手により出産出来てよかったです。
・・・ということを思い出しました。
うちの子は無事に今も元気に走り回っています。感謝でございます。
37週5日 出産
生まれました。
3286グラムの男の子でした。
(先生からは2500グラム前後と聞いていた。大きかった!)
腕にずっしりとした重みを感じています。
切迫早産の人はスピード安産の方が多いと聞いてましたが、
私は陣痛が来たまでは早かったけれど、後半は微弱陣痛でなかなか出てこなくて
結局吸引分娩、ガップリ大きく会陰切開、と結構痛い思いをしました。
今もしんどい。
でもまあ、母子ともに元気です。
生まれた瞬間、大きく力強い泣き声を上げたわが子のことは一生忘れない。
夫は感動して思わず泣いてました。初めて見た。
切迫早産で2ヶ月以上安静入院生活をしていたおかげで、無事に出産出来てよかった。
あのしんどい日々が報われた。
それと、入院中にほとんどの病院スタッフさんと顔見知りになっていたので、
実際の分娩時はもちろん知ってる方ばかり。
初対面の緊張感なく、気安い思いでお任せ出来たのでそれがメリット。
あと、出産後は「Mayakoさんー、みんなで心配してたんだよ。おめでとう」
とか、スタッフさんたちから「おめでとう」してもらって嬉しかったです。
生まれたばかりのわが子
すでにしっかりした顔立ちです。胎脂もつかずに綺麗な肌だった。
生まれたばかりはクシャッとしたお猿のイメージがあったのですが。
生まれ週数によるのかな。
これから3人家族としてのスタートです。
出産後...続けて入院中。
先週出産して、6日目に退院のはずだったのですが、
今も同じ病室にいます。産後2週間経ちました。
実は4日目にチビハムの黄疸基準値が超えてしまい、小児科に入院となってしまいました。
私自身は産後の経過はとくに問題なく、6日目に「退院」
しかし、子は新規患者としての入院開始。
親として入院の付き添い生活が始まりました。
「付き添いでの過ごし方って、今までとどう変わるんでしょうか」
戸惑ってしまい、質問してみる。
「何も変わらない。変わるのは、食事が病人食から付き添い食に変わるだけ」
と、看護師さん。
付き添い食は頼まずに、夫に調達してきてもらっています。
切迫早産の入院中から食事にうんざりしていたので、もういらないですー。
吸引分娩で生まれたチビハムは、黄疸になりやすいのだそうです。
新生児室で一人、黄色味がかって照射治療を受けてぐったりしている我が子。
ビリルビン値を下げるために、24時間光照射治療。
キッカリ3時間起きの授乳で、水分を補って、オシッコとウンチで排出を促す。
黄疸のせいで力なく寝ている子を見ながら、泣けてきました。
私のせいではないと言われても、こんな目に合わせてごめん、と
不安定な精神状態で涙が止まらなくなり、助産師さんに慰めてもらったり。
産後のホルモンバランスは、ガタガタです。
こんなところでつまづいてどうする、私。
これからもっとたくさんの心配事がやってくるだろうに。
病院のサポートもあり。市のサービスもあり。
夫の協力もあり。
頼れるものは頼らないと、あっさり潰れてしまいそう。
そうなる前に、声を出そう。